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芳野藤丸 デビュー50周年インタビュー

SHOGUN、AB’S、ソロ活動はもちろん、西城秀樹を筆頭とする数々の名サポート、スタジオミュージシャンとして数え切れないほどの名演を生み出してきた芳野藤丸。ミュージシャンズミュージシャン的に各方面からリスペクトされつつも、芳野藤丸がユニークなのは「男達のメロディ」「Bad City」『Lonely Man』といったヒット曲も持ち合わせていることであり、「木綿のハンカチーフ(太田裕美)」
「天城越え(石川さゆり)」「ひとり咲き(チャゲ&飛鳥)」などのギタープレイでも著名。キャプテンひろ&スペース・バンドでのデビューから50周年を迎えた芳野藤丸だが、SHOGUNのライブ盤『ALIVE!』、AB’Sのミニアルバム+シングルによる『A5B3S & Single(+1)』、そしてギターインストを初フィーチャーしたソロ3rd『Lonely Man In A Bad City(+1)』、さらにアナログレコードで名盤ソロ1st『YOSHINO FUJIMAL』を続々リイシュー。Player SPECIAL July Issue -ニッポンのクロスオーバーでは50周年最大の目玉としてソロアルバムを制作中の芳野藤丸に直撃! キャリアを振り返っていただいた超ロングインタビューを掲載。その冒頭部分をこちらに転載する。

ヒデキとの出会いで、いきなり
ガラっと変わっちゃいましたから

 今年でプロ・デビュー50周年ですね。
気がついたら50年経ってたっていう感じなんで、自分じゃ全然そんなに長いことやったという気持ちはないんですけどね。
 いろんなミュージシャンがいる中で、藤丸さんの歴史っていうのはイノベーターの歴史なんだなと。すごく限られた1人だなと思うんです。いわゆるミュージシャンズ・ミュージシャン的な存在でありつつも、ちゃんとヒット曲を持ってる人って、実はなかなかいないなと。チャーさんとか、そういう人になっちゃうと思うんですけど。
まぁ、高中(正義)とかね。ちょっと毛色が違うけども。
 後聴きの世代として思うのは、ギターはギター、歌は歌、歌いながら弾くにしても、バッキングはやるけどリード・ギタリストが別にいて、みたいな、そういうスタイルの人は割と多かったと思うんですけど、藤丸さん世代の人は、歌いながら弾くのが当たり前っていう感じだったんですか。
それがやりたかったんですよ、元々。歌いながら弾くっていう。ベンチャーズから始まってるんで、その時はギターばっかり弾いてたのね。歌のことは考えてなかったんですけど。やっぱりビートルズを聴き始めてからは、歌って弾くのが一番いいなって思って。
バンドやるっていうところで言うと、ビートルズの衝撃は大きかったんですか。
 大きいですよ。僕は特にコーラス、ハーモニーとか好きなんで、ハモりながらやるっていうのがやっぱりね、いいなあと思って。
そこはジミ・ヘンドリックスとかエリック・クラプトンとかそういうんじゃなくて…。
もちろんジェフ・ベックとかね、一通り通ってきましたけど。クラプトンはよく聴きましたね。でも、ジミヘンはちょっとトリッキーっていうか、ステージでギター燃やしたりはできないじゃない(笑)。

芳野藤丸『Lonely Man In A Bad City(+1)』
STEPS RECORDS UHQCD STPR032 2,750円(税込)

 

 

 やっぱり、元々はバンドがやりたかったんですか。
そうですね。ソロでっていうことは全く考えてなかったです。
   自分でバンドを組もうとしたとき、周りのミュージシャンはやっぱりレベルの高い人が多かったんですか。
日本で言うと、僕が好きだったのは、当時はブルース・クリエーション。竹田(和夫)くんとこのバンドとか。それからThe Mっていうバンドがあったんですけど(註:イエローを結成する垂水良道と孝道兄弟、ゴダイゴの浅野孝巳、ファニー・カンパニーの西哲也らによるバンド。後に外道を結成する加納秀人がいたことも)、これはもう、お金払って見に行くくらいカッコよかった。あと、四人囃子もよかったんですけど、その辺になるともうみんな一緒の世代なんで、友達関係になってきちゃったんで。
 藤丸さんの世代は、やっぱりギター・ソロを重視してたんですか。
そうですね。かといって単なるギター・プレイヤーだけでやっていくっていうのは、僕はあんまり興味なかった。やっぱり歌ありきだったんですよね。それに付随してギターがついてきたみたいなのが多かったから。聴いてくれる人はどう思ってるか知らないけど。
 藤丸さんは学生時代にバンドをやり始めて、つのだひろさんと会うまでの間の目標は何だったんですか。
ん~、あんまり考えてなかったんだけど…。ライブやりたいって思ったのは一番最後です。それまでは、ギターを弾きたいとはもちろん思っていたし、歌も歌いたいと思ったけど、それでステージに立ちたいとかっていうのは思ったことがなかった。最初はね。しかも自分がメインでね。誰かのバックとか、サポートというのは好きだったんですけど。自分がセンターでってのは、僕は絶対に嫌だったんですよ(笑)。ビートルズだったら何人かでやるでしょ。ピンで俺が1人でとかね、そういうのはもう全く考えてなかった。常に誰かと一緒にやるっていう。だからバンド。グループじゃないと嫌だったんですよね。
 “俺っていい声しているな”とか、どこかでそういうふうに思ったりは?
いや、そんなこと考えたことなかったよ。(西城)秀樹のコーラスをずっとやってたから。演奏してコーラスもやってたんですよ。それをメーカーの人が聴いて、お前いいねって声かけられて、レコード作らない?っていう話が来たんですよ。

AB’S
『A5B3S & Single(+1)』
STEPS RECORDS UHQCD STPR031 2,640円(税込)

 

 

 ヒデキさんとの出会いは、結構いろいろと語り継がれてるエピソードではありますけど、やっぱりすごく大きかったですか。
大きかったですよね。だって、それまでは僕、ジャンルでいえばロック畑っていうか、歌謡界じゃないから。ヒデキなんていったら、歌謡界のメインにドーンと。歌謡界に行くなんて、僕はぜんぜん考えてなかった。あんなの音楽じゃないぐらいに思ってたんで(笑)。それまでハードロックだとかね、ブルースだとか、そういうことばっかり考えてたんです。それがヒデキとの出会いで、いきなりガラっと変わっちゃいましたから。
 藤丸さんがジョー山中さんたちとやったライヴ(註:1974年2月のロッド・スチュワート&フェイシズの日本武道館公演のオープニング・アクトで、“Japan Super Session”として、内田裕也、クリエイションのメンバーらと共に出演)をヒデキさんがご覧になられていて。
そう。偶然会った、本当に。いきなりヒデキに声かけられて。もちろん彼はスターでしたから、名前は知ってるけど、彼がやっているような音楽なんて僕は聴いたこともやったことない。1回コンサートを見に来てよって言われて行ったら、もう、歓声でもう演奏なんか何も聴こえない(笑)。だったら何してもいいのかなと思っちゃって。
 ヒデキさんは結構ソウル・ミュージックのテイストだったりとか、リズム&ブルースのテイストもありましたよね。
彼は元々ドラムもやる男だったんで、こういう感じの曲がいいよ、聴いてみるよ、いいね、この曲やろうかとか、そういうロックとか音楽的なことは(話が通じた)。僕のことを言うこともいっぱい聞いてくれたし。
 結構ウマがあった感じだったんですね。
すごく合いましたね。
 ヒデキさんから声がかかって、一緒にやろうってなったときに、バンド・メンバーはどうやって集まっていったんでしょうか。
もちろん、事務所サイドでこの人がいいんじゃないかっていうのでピックアップしたメンバーもいたし、スタジオ仕事をやり始めてから、そのうちだんだん仲の良い連中ができてくるんで、僕がその連中に声かけて、ちょっとヒデキの方のグループを手伝ってくれない?とか、そういう感じで。

SHOGUN
『ALIVE!』
STEPS RECORDS UHQCD STPR029 2,750円(税込)

 

 

 ヒデキさんのバックバンドをやっていく中で、いろんな音楽関係の人だったりとか、事務所の人だったりテレビの関係者などは、バンド活動を理解してくれたんでしょうか。
中にはもちろんいたんでしょうけど、テレビ局でも何でもチープでしたよ。例えば、カメラの人はもうカメラを撮ることだけだから、音は関係ないので。バンドはバンドでフルバンドがいて、演奏だけしてればいいっていう。それはそれでまたテレビ用に録音したりする人がいるんだけど、もう音は最悪でしたから。そこに僕らが口を出すとかっていうことはできなかったんですよ。みんな変なプライドがあって。でもヒデキとかやりだしてからは、逆に言えるようになってきたんですよね。ヒデキ自身がそうでしたから。
  そこが一つの分岐点なんですね。
で、バンドが付きだしたじゃないですか、ビッグバンドとは別に。沢田研二…ジュリーには井上堯之バンドがついたりとか。あの辺でガラッと変わってきたんじゃないかな(註:テレビの歌番組などでは、元々は番組専属のフルバンドが伴奏するものだったが、沢田研二が自前のバンドで演奏するようになってから、それに追随する歌手が増えた)。
 そんな無茶なことはできないよっていうことを言われたりとかしなかったですか。
でも、そういうふうになりだしてから、結構無茶なことをみんな言い出してましたよ。
 それがワン・ライン・バンド(註:メンバーは藤丸のほか、長岡道夫、大谷和夫、山木秀夫、中島御)になっていくんですね。
そうですね。
 これ、バンド名がすごいですね。 ユーモアたっぷりというか、何というか(笑)
一直線という。あれ最初、ハワイでレコーディングさせてもらったんだよ(註:78年の『イエロー・マジック』のレコーディング)。ハワイに行くときに滑走路でね、飛び立つときに白線がこうやって見えるんですよ。その上を飛行機が行くんですけど、ワンラインのところをワーッといった感じ、ワンライン、ワンラインってずっと頭の中にあって、音楽なんかもワンラインでいけたらいいよねって。で、ワンライン・バンドっていう。実は誰にも言ってないですけどね。
 僕は第一線でやってる人たちが集まってるバンド、みたいに思ってたんです。
全然。発想は極めて単純なんですけど。
 そうだったんですか。藤丸バンドでのアルバム(註:75年の『BGM』)であったりとか、その頃からセッション活動とともに、ご自身の活動が始まってるわけなんですけど。曲を作ったり、自分たちのオリジナルで作品を出したいっていうのは、徐々にそういう気持ちが芽生えていったんですか。
いや、それもなかったんですよ。何もなかった。お前、声がいいから、レコード作ってみない?みたいな話が来て、初めて、ああそうですかって感じなんで。
 そういうのは結構スタッフ側の要望に応える形だったんですね。
そうですね。だから、そういう要望がなかったら何もやらないし。自分からはあんまり。最近はね、こういうのやりたいんだけどって、いろんなメーカーの人にこっちからも話をするけど、昔はないですよ。

Interview by KAZUTAKA KITAMURA Edit by TAKASHI IKEGAMI

芳野藤丸
『YOSHINO FUJIMAL』
WARNER MUSIC JAPAN
LP(ホワイト・カラーヴァイナル)
WQJL-156 4,180円(税込)

 

Player SPECIAL July Issue –ニッポンのクロスオーバーでは撮り下ろし取材! およそ20,000字に及ぶ芳野藤丸ロングインタビュー+ギアレポートを掲載しています。まだまだたっぷりのこの続きをぜひ誌面でご堪能ください。

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